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[2013/05/16] ラグりんと鴨川のこと /

平成25/皇紀2673年4月7日 仏滅 | 2021/07/29 17:21 更新
鴨川エナジーのサンプル。いよいよ発売!
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6月1日のシーフェスタでいよいよ発売される(インターネットでは5月20日から箱売りにて先行受付)ファン待望の「鴨川エナジー」
現在、最終的な確認などを行っているが、まだまだやるべきことは多い。

午後、メーカーさんから送られてきた、サンプル品の第2弾を推進委員会の有志メンバーで試飲。
味や炭酸感が調整され、いい具合に仕上がっていた。
これで中身はGOできそうだ。

ラベルも保健所“様”の直前になってのまさの“ありがたい御指導”を受け、メーカーさんも我々も困り果てたのだが、なんとかクリアできそう。(正直、困ったというより、怒った。お役所って……)

昨秋の「ラグりんまつり」をはじめ、ことあるごとに「鴨川エナジーを製品化してください!」というアツいご意見を多数いただいていたが、ようやく発売できる運びとなった。
小ロット製造のため、原価率など無視した無茶ぶりな価格設定であるが、ファンのためならば致し方ない。一般的に見れば、1本200円は高いと思われる方もいるだろう(現にネットでは一部「ボッタクリ」の声が・苦笑)が、我々としてもギリギリの設定なので、この点は御理解いただけると嬉しく思う。

夜は鴨川JCの5月例会に参加。
今日は先輩方も出席して、7月6日(土)に迫ってきた創立45周年記念大会への決起大会を行った。
先輩方が築いてこられた45年の歴史。
我々がしっかりと未来へとつないでいかなくてはならない。
これからも社会への、地域への奉仕者であり続けたい。


さてさて、今日はラグりんと鴨川のことについて、ちょっと(だいぶ長くなりそうだけど)書いてみたいと思う。
というのも、前述した「鴨川エナジー」の発売に対して、大々的にはプレスリリースは打たなかったのだが、かもナビや推進委員会Facebookの記事を参照してネットニュースに掲載された。
案の定、またまた鴨川が槍玉に(苦笑)
まだやってんのか、出すの遅すぎ、といった声も少なからず見られ、まぁ、ある意味慣れっこになってしまった我々としては話題にしてもらえるだけありがとう!という気持ちでもあるのだが……。

ただ、「鴨川エナジー」を商品化するに至る経緯を思うと、正直残念で悔しい思いがこみ上げ、また、放送終了からだいぶ経ってきていることもあって、昨夜ツイッターで作品と鴨川が実際はどのように関わっていたのか、どのようにプロジェクトが進められていたのか、溜め込んでいたことをぶっちゃけツイートしてしまった。
関係者には御迷惑をおかけするかも、と思いつつも、もはや止められなかった。

そんな連発ツイートに、なんとなんと佐藤総監督や鈴木監督、現場のアニメーターの方々も反応してくれた。
これは心強かった。チームラグりんの絆の深さを実感した。

ただ、朝になってみると、見事にまとめサイトに転載され、厳しく辛辣で時に人格否定にまで及ぶコメントが怒涛のごとく寄せられていた。(みなさん、反応、ありがとう)
もちろんそんなリスクは百も承知。それ以上に伝えたかったのだ。

ツイッターでもさまざまな反応をいただき、こちらはなるべく返信したのだが、ツイッターだと文字数も限られ、前後の発言関係なしにある特定の発言がピックアップされて一人歩きしてしまう危険性もあるので、自分の日記で改めて記すことにした。

興味のある方は読んでいただければと思う。


1.なぜいまになって?

コメントをくださった方の中には「なぜいまになって言うのか」「もっと早く言えば良かったのに」「いまさら言われても言い訳にしか聞こえない」というようなご意見があった。

実は私は過去に幾度となく、取組みについて日記に記してきた。
ただ、もちろん私の日記など多くの人が読むようなものではないから、昨夜のツイートは多くの人に「いまさら」感を与えたと思う。

プロジェクトが進行している当時は、製作側と地元側の関わりの中で慎重に情報を発信しなければならなかったし(いまももちろんそうではあるが)、いろいろとお互いに気を遣っていた(時に気を遣いすぎていた)面もあった。
だから、日記も無難でおとなしめではあったと思う。

↓過去の主な日記

[2012/02/09] ラグりんで試される鴨川のアイデンティティ
http://na.ni.nu/diary/t.cgi/20120209/na.ni.nu2-cont.html

[2012/02/21] ラグりん拠点下見
http://na.ni.nu/diary/t.cgi/20120221/na.ni.nu2-cont.html

[2012/03/06] ラグりん東京会議
http://na.ni.nu/diary/t.cgi/20120306/na.ni.nu2-cont.html

[2012/03/07] クローズアップ現代
http://na.ni.nu/diary/t.cgi/20120307/na.ni.nu2-cont.html

[2012/04/17] ラグりん、鴨川会議
http://na.ni.nu/diary/t.cgi/20120417/na.ni.nu2-cont.html

[2012/05/11] 会議、会議、会議、会議…
http://na.ni.nu/diary/t.cgi/20120511/na.ni.nu2-cont.html

[2012/05/17] ラグりんな一日
http://na.ni.nu/diary/t.cgi/20120517/na.ni.nu2-cont.html

[2012/10/11] 「ラグりんまつり」で伝えたいこと
http://na.ni.nu/diary/t.cgi/20121011/na.ni.nu2-cont.html

[2012/10/13] 「ラグりんまつり2012 in 鴨川」 1日目
http://na.ni.nu/diary/t.cgi/20121013/na.ni.nu2-cont.html

[2012/10/14] 「ラグりんまつり2012 in 鴨川」 2日目
http://na.ni.nu/diary/t.cgi/20121014/na.ni.nu2-cont.html

[2012/10/15] 献燈祭&鴨川のホスピタリティが炸裂した日
http://na.ni.nu/diary/t.cgi/20121015/na.ni.nu2-cont.html

[2012/11/26] ラグりんと鴨川の今後
http://na.ni.nu/diary/t.cgi/20121126/na.ni.nu2-cont.html

[2013/05/13] ラグりん会議
http://na.ni.nu/diary/t.cgi/20130513/na.ni.nu2-cont.html

というわけで、なぜいまになって、というわけではないのだが、一昨日からのツイートのきっかけは前述した通り「鴨川エナジー」発売に対するネットの声である。
「鴨川エナジー」発売に至る経緯や期待してくれているファン、企画・開発に関係した人たちのことを考えるといてもたってもいられなくなってしまったのだ。(メーカーの方は今回開発に携わるにあたって、アニメをチェックしてくれたっぽい)


2.作品と地元の関わりの実際に絞って…

私は作品と地元の関わりの実際についてのみ絞ってお話しをしたい。

別に今回のプロジェクトが成功だったのか、失敗だったのか、について論ずるつもりはないし(もっともまだまだ進行中のプロジェクトに最終的な評価は下せない)、現状への言い訳を言うつもりもない。(そのように聞こえてしまうかもしれないけれど)

ましてや作品・ストーリーの内容云々を語る立場に私はない。
製作委員会の人たちは実に一生懸命がんばってくれていたし、いまでは制作側も地元側も一体となったチームとなっている。これは過去の取組みにおける紆余曲折を経て、結束が強まったものであり、本プロジェクトが生み出した財産とも言えるだろう。(鴨川ではラグりんのプロジェクトを通じて、行政と民間の垣根を超えた、新たなまちづくりの仕組みができつつある。すばらしい成果でもある)

同じ仲間を評することなど、私にはできない。
アニメは毎年無数に創り上げられていくが、ラグりんは鴨川にとってはオンリーワンなものなのだ。

それに作品云々は各々の主観の入るところでもあり、それについて良い悪いをここで語ることはナンセンスであるとも思う。

とにかく言い訳とかそういうことではなく、メディアやネットを通じて拡散していった、必ずしも正確でない情報を払拭すべく、作品と鴨川の現場、実際をお伝えしたい。
その上で苦言も含めて評してほしい、という一心である。


3.鴨川がストーリーに介入した?

ラグりんと鴨川の取組みを語る際、大前提として誤解されていることがある。(昨年の「ラグりんまつり」の「ご当地アニメフォーラム」でもお話しさせていただいたが…)

○鴨川が聖地化を狙うため、作品を誘致した。
○鴨川はストーリーに深く介入した。だから、毎回の「鴨川」がタイトルに入った。

実はこれらは全て事実と異なる。事実はむしろ逆なのだ。

鴨川を舞台にしたアニメがテレビ放送されるというお話しが初めて鴨川にもたらされたのは、放送が開始される約半年前の2011年6月だった。
アニメ制作に詳しい方であれば、おわかりになると思うが、この時点では、すでにほぼ完成された状態であり、ストーリーに介入する余地などなかったのだ。

聞くところによると、本作は鴨川を舞台にすることがすでに数年前に決まっていて、ロケハンにも入っていたとのこと。
密かに動いていたようで、地元は知る由もなかった。

製作委員会からは鴨川を舞台にした作品をテレビ放送するが、できれば、地元と連携して盛り上げていきたいとの提案があり、鴨川は協力することにしたのである。

それでも数ヶ月間は担当した市役所と製作委員会間での折衝が続き、民間を含めた「輪廻のラグランジェ鴨川推進委員会」が立ち上がったのは、なんと放映開始まで2ヶ月を切った2011年11月であった。

放送開始前、我々が実際に拝見していたのは第1話のみである。
第2話以降はリアルタイムでの視聴となった。
確かに毎回「鴨川」がタイトルに入っていて、正直、我々もここまでやってくれるのか、と驚いていた。

我々地元としては、ロボットアニメだから、街をバンバン破壊してもらっちゃって構わないし、鴨川のこともさり気なく出す程度で良いのでは、とも思っていた。

ただ、製作委員会のみなさんからは、本作はロボットアニメであるが、元気の出る明るい内容にしたい。破壊的で、人が死んだりするような内容にしたくない、というお話しを伺っていた。
我々も共感できるものだったし、放映前から、あるいは作中で実在する都市「鴨川」を明確にうたう、ロボットアニメでありながら人が死なない、明るいストーリーで展開する、というのはチャレンジ要素満載だったのだろう、と今振り返ってみれば思う。


4.2011年当時の鴨川

製作委員会から初めてお話しのあった2011年6月、鴨川はどのような状況であったかというと、同年3月の東日本大震災により観光業をはじめ、どん底に追いやられている状況であった。
幸い鴨川市、あれだけの大震災の中で揺れによる被害も、津波による被害もほとんどなかった。

だが、その後、千葉県=被災地、海=津波・放射能汚染というイメージが強くなってしまい、千葉県に位置し、海を売りとする鴨川市の主産業である観光は壊滅的な影響を受けていた。
夏のイベントもほとんど全て中止。
団体バスは1台も走らない。大型ホテルの中には1ヶ月程度臨時休業し、多くの従業員が仕事を失ったりもした。

そんな中、鴨川を舞台にしたアニメの話がやってきたわけだ。
どん底にある鴨川をアニメを突破口として、なんとか復活させたい、そういう思いで地元としてはオファーを受けた。

もしこれが大震災前であったなら、同じような協力体制が築けたかどうか、自信はない。

鴨川市は南房総エリア屈指の観光都市であり、古くより海水浴のメッカであり、鴨川シーワールド、サーフィン、大山千枚田といった観光資源にあふれ、相当数の観光客が来訪している。
(製作委員会のみなさんには少々失礼な表現になってしまうが)そんな観光都市が、これから放映される、当たるか外れるかもわからない不確定な要素に対して、人的・財政的なリソースを投入するのか、と言えば、リスク承知の余程の覚悟がなければできないだろう。

東日本大震災の二次被害・産業被災にあえいでいた鴨川にとって、アニメ「輪廻のラグランジェ」は復興アニメ、地域に元気をもたらすアニメとして地元としてはとらえていたところも大きいのである。

実はこのこともラグりんと鴨川の関わりにおける重要な要素であったと思う。


5.観光地の使命として…

お話しを受けたはいいが、市役所としては、実際どのような体制で地元側はプロジェクトを推進していけば良いのか、困り果てていたと思う。
なにせアニメの舞台になり、さらにそれをきっかけに少なからずファンが訪れ、その受け入れ体制を作って行かなければならない。もちろん作品と地域のプロモーションも展開していく必要がある。
なにもかもが、鴨川にとって初めて尽くしであったのだから。

ただ、鴨川としては、放置しておくわけにはいかない。
作品をきっかけにファンが訪れてくださるのならば、ファンの人たちに楽しんでいただき、ガッカリさせないような企画を考えていかなければならない。
おもてなしの心をもって臨むのが観光地としての大きな使命だからだ。

そんな思いもあって、我々民間も市役所に地域全体で盛り上げていけるような流れを作ろうと進言し、行政と民間が一体となった「輪廻のラグランジェ鴨川推進委員会」を立ち上げることになったわけである。

「鴨川が聖地化を狙っている」「あざとい鴨川」というねじ曲がったイメージが広まってしまったが、我々は別に「聖地化」など狙っているわけでもなく、元来、「聖地」とはファンが作るものであって、製作や地元が作るものではないのだから、我々地元はとにかく来てくださる人たちのために活動しよう、という純粋な思いでプロジェクトを進めていった。

聖地化とか、経済効果なんて、二の次なのだ。
結果そうなれば良いものであって、狙ってやるものではない。
売ろうとすればするほどモノは売れない、というのは営業の鉄則。それはご当地アニメについても言えるだろう。


6.「オタなめんな」「あざとい鴨川」の登場

ところが、我々の純粋な動機による取組みとは裏腹に、鴨川に対する評価は逆の方向に進んでいった。
2012年3月に放送された、NHK「クローズアップ現代」が原因とよく言われるが、実はクロ現に始まったことではない。
私の記憶が正しければ、2011年12月の報道がきっかけだったように思う。(もっと前の時期からあったかもしれないが、その頃から本格的に鴨川がdisられるようになっていたと思う)

12月下旬、Yahoo!ニュースをはじめ、マス・メディアで鴨川の取組みが相次いで報じられたのだが、ほとんど全ての報道が「聖地化」とか「経済効果」という点だけに焦点をおいた内容だった。

おそらく本作は実在する都市を放映前から明確にうたい、製作委員会と地域が本格的に明示的に(ある種正々堂々と)タイアップした初めての作品だったと思われる。
それまでは鷲宮に代表されるように、放送後にファンが訪れはじめ、いわゆる「聖地化」していくという事例がほとんどであった。
そのような意味において、マス・メディアにとって鴨川は興味深い対象だったのだろう。

アニメを活用して地域振興、という面ばかりが注目され、センセーショナルな見出しをつけた記事がネットをにぎわせた。
これには当然のごとく、ファンたちから反発が……。

「聖地化は狙ってできるものではない」「あざとい鴨川」「オタクをカモにするのか」「オタなめんな」……。
そういうコメントであふれた。

至極真っ当な反応だろう。私が同じ立場ならそう思う。

しかし、実情は、と言えば、我々は至って純粋に活動していただけだ。観光地としてのおもてなしの心を活かして、ファンの方々をあたたかく迎え入れようとしていた。
取材に来た報道各社にはその点を強く伝えていた。でも、取り上げられなかった。そんなことを記事にしてもつまらないからだろう。
むしろ「聖地化を狙う」とか「アニメで地域活性化」という件の方がマス・メディアにとっては刺激的で、受けは良いだろうから。

この頃から早くも鴨川に対するイメージと、取組みの現場の実際の乖離が始まっていったと思う。
マス・メディア、ネットを通じて広がったイメージを払拭するのはなかなか容易ではない。結局、いまでも引きずることになっている。


7.NHK「クローズアップ現代」

ラグりんと鴨川を語る上で避けては通れない、NHK「クローズアップ現代」
前述してきた鴨川への歪曲したイメージ付けを決定的にするものであったことは間違いないであろう。

多くの人たちがその実際について興味のあるところであると思うので、現場にいた人間として、わかる範囲で述べておく。

クローズアップ現代の取材班が鴨川に入ったのは、確か2月頭くらいからだったと思う。
クローズアップ現代と言えば、だれもが知る、全国区の番組。それが「聖地巡礼」をテーマに鴨川市も取り上げてくれるというのだから、我々としてはもちろん嬉しかったし、協力的に取材に応じた。

取材は広島局のクルーが入っていた。
お話しによれば、当初、アニメ「たまゆら」と竹原市の取り組みについて、ローカル番組で取り上げていたのだが、その内容が中央のデスクの目にとまり、どうせなら全国の同様な取り組みをしている地域を取材、編集し、「聖地巡礼」というテーマで「クローズアップ現代」で放送しないか、ということになったらしい。

鴨川のほかにも、鷲宮や秩父なども取り上げられていた。
中でも鴨川はアニメ放送中ということもあり、現在進行形を取材するようなかたちで進められていた。

広島局のクルーは実に熱心で、また人柄もすばらしいチームだった。
竹原市の取り組みなども教えてくれ、いろいろと情報交換もできた。
我々も地元のアツい思いを伝えると、今度はぜひ飲みましょう、という話までしていた。

ディレクターの話を伺う限りでは、鴨川が試行錯誤しつつも、聖地巡礼で訪れるファンの人たちをおもてなししよう、あたたかく迎え入れようと頑張っている姿を密着で取材し、取り上げてくれるとのことだった。

鴨川の話題になった時に最初に出てきた会議のシーンがある。
実は私も映像では登場している。

この際、鴨川側が製作側に「海をもっと描いてほしい」とか「おらが丼を登場させてほしい」と意見しているシーンがあるが、実はこの会議、もっともっと長いものだった。
その発言が生み出された件はこうである。
製作委員会から、すでに放送が何話か終了したが、その印象はどうだったか、という感想を聞かれ、次いで、ストーリーはほぼできているが、せっかくならば鴨川の名所や名物をアニメの中にも要素として取り上げて行きたい、なにかありますか?ということだった。
そのように問われれば、冒頭の意見が出されるのは至極当然のことだろう。

いま振り返ってみると、この会議は急に招集されたものでもあった。
確信はもてないが、もしかすると、取材のために設定された(製作側と地元側の会議のシーンを撮りたい)というものだったのかもしれない。

最後の方では「菜な畑ロード」を訪れたファンが「聖地化」について感想を述べるシーンが写っていた。

当時、推進委員会は訪れるファンのため、どこまでやるべきなのか、ということを苦心していた。
推進委員会にも地元のアニメファンや聖地巡礼に詳しい人にも入っていただき、あくまでファン目線での活動を展開していた。
「聖地巡礼」というのはそもそも、ファンが自分自身で作中のシーンを見つけていくという楽しみがあり、地域側がご丁寧にお膳立てするものではない。
そんなこともあり、聖地巡礼マップの作成も最初からは行わなかった。

菜な畑ロードのシーンは、そんな中で、実際に訪れたファンの方々に、どのようにしていくのがいいのか、ざっくばらんにファンの声を聞き、それを活動に活かしていこうというものだった。
しかし、視聴者にとっては、「あざとい鴨川」に対して下されたファンの評価に見えてしまったかもしれない。

そして、放送された「クローズアップ現代」
ネットは鴨川叩き一色になった。
事前の取材のようす。クルーの人柄もわかっていただけに、正直ショックだった。

結局、編集権をにぎっているデスクが強大な権限をもつのだという。
おそらく広島局のクルーも予想だにしていなかったのではないだろうか。
あるいは当のデスクも、アニメ業界においてはネットの反応がこれだけの影響力を及ぼすとは想定してなかったのかもしれない。

まさに「クローズアップ」
一面性だけを伝えるメディア、そして、その情報が瞬く間に拡散していきネガティブの嵐になるネット。
その恐ろしさを改めて痛感することになった。


8.まずは地元の人に知ってもらう。

我々推進委員会が大切にしたことの一つが、まずはアニメが鴨川を舞台として制作され、テレビ放送されるということを地元の人たちに知ってもらうということである。

鷲宮や秩父、竹原などさまざまな先駆事例を参考にしたのだが、例えば、鷲宮も最初から順風満帆だったわけではない。
聖地巡礼が始まった当初は地元の人たちの方がアニメのことを全く知らず、つっけんどんな態度をとったこともあったという。それではいけない、ということで、徐々にホスピタリティを高め、いまや聖地巡礼の聖地といった場所に輝いているわけである。

鴨川もその事例を参考にし、地元の人たちがまずは理解をして、ファンを迎え入れる。おもてなしの心で臨む、という土壌づくりを大切にした。

放映前の12月下旬に主に市民を対象として行った先行上映会も然り。「KamoZine かもラグ号」を学校などを通じて市内にも大量配布したのも然り。
ファンだけでなく、市民を意識したものであった。(むしろそちらの方が当初は大きいウェイトを占めていた)

結果、多くの市民が放送前からラグりんを認知し、鴨川を訪れたファンの人たちに声をかけ、コミュニケーションが生まれるという状況を生み出すことができた。(聖地巡礼をしたファンの方々も地域とのふれあいについて、ツイッターやブログなどでレポートしてくださっている)
また、ラグりんに対する地域としての協力体制、意識も高まっていった。

このことは我々の活動の一つの成果であるだろう。


9.「バァァーンとォ!!!」おじさんの正体

クロ現ですっかり有名になった「バァァーンとォ!!!」おじさん。
新町通り(鴨川中央)商店街で理事長を務める「あさひや」のご主人である。

新町通り商店街はかつて鴨川の銀座通りと呼ばれ、連日大賑わいの場所であった。休日には歩行者天国も行われていた時代もある。
私も子どもの頃、買い物と言えば、親に連れられ、新町通り商店街へと出かけた。

ところが、時代が移り変わり、鴨川にイオン(ジャスコ)などの大型店舗が進出してくる頃になると、商店街は廃れていった。店舗を営む人たちの高齢化、後継者不足なども相まって、次々と閉店を余儀なくされていった。
いまではシャッター通りとなってしまった。

そんな中、「あさひや」のご主人は商店街の活性化を図ろうと、リーダーシップを執りながら奮闘している方である。

クロ現で有名なセリフが飛び出したのは、我々推進委員会が新町通りの空き店舗を利用して、ファンたちが気軽に集える「ラグりんカフェ」を設けたり、どうせなら下りているシャッターを逆利用して「シャッターアート」を描こうということで、商店街を紹介していただきに訪れた時のことだった。
NHKのクルーも同行していた。

ご主人は少しでも商店街が活気づくならば、と全面協力を申し出てくださり、どうせならチマチマやるんじゃなくて、うちの壁にバーンっと描いちゃえよ、自由に使ってもらって構わないぞ、その方がファンも喜んでくれるだろう、という思いで飛び出したセリフだった。
とても元気で、勢いがある方なので、房州弁全開でカメラの前でもいつもの調子でまくし立てていた。

「ここにバーンと絵を描いちゃえばいいんだよ」

確かにメディアにとってはこの上なくインパクトのあるセリフだ。
編集上、格好の材料となり、ご主人の思いとは裏腹に「聖地化を狙うあざとい鴨川」が凝縮された言葉として拡散していった。

ところで、シャッターアートは1面で実現したのだが、「ラグりんカフェ」は予算的な問題もあり、結局実現しなかった。(それほどまでに限られたリソースで地元側は展開していた・涙)
その代わりに生み出されたアイディアがいまでも設置されている「ラグりん★ステーション」である。
店先のちょっとしたスペースをお借りし、そこにスクールデスクを置いて、ポスターやジャージ、さらには製作委員会よりご提供いただいた台本などを置いて、ファンに訪れてもらおうというものである。
そこでお店の方とファンのふれあいも生まれるだろうし、さらにお店も活気づくかもしれない。
そんな思いを込めたアイディアであった。

現在、15店のお店・宿泊施設等が協力してくださっている。
その中でも真っ先に手を挙げてくださったのが、そう「あさひや」さんなのだ。

「ラグりん★ステーション」では、一部店舗でジャージやTシャツ、ポスターなどの販売を行っていただいているが、もちろん販売協力の御礼として微々たる額ではあるが、多少の手数料を納めていただいている。
が、「あさひや」さんは手数料はいらない、うちがもらうなら、プロジェクトのために使ってくれ、と無償で販売をかってでてくださっているのだ。

さらに昨秋の「ラグりんまつり」では「鴨川汁」を、なんと無料で訪れたファンに振舞ってくださった。
予想以上の来客で大鍋数杯分の「鴨川汁」は瞬く間に無くなってしまったが、さらに買い出しに出て、追加でまた作ってくださったという。
「ラグりんまつり」2日目はまさかの雨模様となってしまい、気温も下がり、多くのファンは体を冷やしてしまった。そんなファンたちの身も心も「あらひや」さんの「鴨川汁」が温めてくださったに違いない。
ファンからは御礼のコメントがツイートやブログを通じて数多く寄せられていた。

まさに鴨川の男気全開な方である。
鴨川を訪れた際は、ぜひ「あさひや」を訪ねていただきたいと思う。


10.逆境の中、築かれた製作委員会・鴨川推進委員会の強い絆

ラグりん×鴨川のプロジェクトを通じて得られた財産の一つが製作委員会と鴨川推進委員会の強い絆である。
それぞれの組織の枠組みを超え、今では揺るぎない個人レベルの強い信頼関係が築かれている。

放送終了後、なかなか直接お会いする機会は少ないが、それでも節目節目には有志メンバーで飲んだりしながら、情報交換を続けている。
プロジェクトもまだまだ生き続けているのだ。

しかし、この強固な関係は初めから存在したわけではない。
紆余曲折を経て作り上げられたものなのだ。

ラグりんと鴨川のコラボレーションが始まった当初、2012年1月にテレビ放送がスタートする頃まで、製作委員会とのやりとりは市役所の担当の方が一人で請け負っていた。我々委員会メンバーに負担をかけまいという配慮、さらには混乱を生まないために窓口を一本化しておきたいという考えもあったと思う。
したがって、製作委員会の方々は委員会メンバーにとっては遠い存在であった。製作委員会にとっても同じことが言えただろう。

だが、鴨川にとって、アニメのプロジェクトに関わるのは初めて。
製作委員会にとってもチャレンジ要素の強いものであっただろうから、お互い手探りで進めざるを得なかった。
地域は版権を扱うことに慣れていないし、互いの分野・業界の標準、常識というものも理解していないから、当然ボタンの掛け違いも起こっていった。

広報物やパネル、グッズなど、アニメの要素や素材を利用する制作物には製作委員会の「監修」が必要であった。
これは著作物を扱う業界においてはごく自然なことである。制作者にとっては作品を守るために、素材が意図しない使われ方をしたり、ストーリーや設定に悪影響を及ぼすような事態は防止しなければならない。
したがって、厳しく「監修」を行うことが必須になる。

一方、地元側にとっては、作品のプロモーションに協力しているのだから、もっとスピーディーに柔軟に活用していけるだろう、という考えがあった。

しかし、実際にアニメ素材を使おうとなると、事細かなチェックを受ける必要があり、窓口が一つだったこともあり、担当者が過負荷状態となってスピードも低下した。中にはスケジュールが大きく遅れてしまう企画も出てきた。結果、地元側にフラストレーションがたまっていった。

やることなすこと、全てチェックされる。時間もかかる。予定していた時間通りにできない。観光はスピードが命だ。こんな面倒なことになるなら、苦労してやることはないのではないか。
漁師町の鴨川は熱しやすく冷めやすい、面倒なことからは一気に手を引いてしまう気質をもっている。
地元側の心が少しずつ離れ始めた。

あとでわかったことなのだが、地元側の深刻な状況が製作委員会にうまく伝わっていなかった。
窓口が一本化されているのは良い部分もあったが、担当で情報が滞り、双方の風通しが悪くなるという弊害も生んでいた。

鴨川推進委員会の会議でも年明け頃から不満が多く出されることになり、製作委員会に申し入れようということになった。
このままではプロジェクトが空中分解しかねない。正直な思いをしっかりとお伝えし、お互いが協力しやすい仕組みを築きあげよう。

実は前述した、クロ現のカメラも入った例の2月の会議は鴨川側にとってはそのことを製作委員会にお伝えする重要なものであった。
ところが、いざ会議となると、紳士的でおとなしい(笑)鴨川のメンバーは発言できないでいた。だれもそのことに触れることなく、会議は閉会を迎えつつあった。

最後に、会議の進行を務めていた市役所の担当が「議題は全て終わりましたが、ほかになにかある方はいらっしゃいますか」と振ってきた。
これがスイッチでもあった。

鴨川のみんなが私に言え、というような空気を放ち、私も藺を決して、憎まれ役になるつもりで、鴨川の状況をストレートに製作委員会にぶつけた。
このままの状態では我々の意図しない方向に向かってしまう。
お互いに信頼関係を深め、本当の協力体制を築かねばならない。
素直な意見、要望をお伝えした。
そんなこともあって、会議は少々重苦しいムードで閉会となった。

ラッキーだったのは、この時、クロ現のカメラはまわっていなかった。ディレクターは地元から出た本音に「カメラをまわしておけば良かった」と残念がっていた。
だが、結果的にはカメラがまわらず助かった。ここでまわっていたなら、格好のシーンとして切り取られ放送されただろう。
それこそ鴨川は製作側、作品・ストーリに介入する存在と完全に見なされてしまったに違いない。

会議の数日後、私は以前一度だけ鴨川で懇親会を開いた折、飲み語ったことのある製作側のプロデューサーの方にメールでコンタクトをとった。
会議の発言のフォローも兼ね、鴨川の本当のところをより詳しくお伝えし、いま一度、枠組みを超えた信頼関係の構築を提案した。

蓋を開けてみれば、プロデューサーも私と全く同じ考えだった。

そこで、まずは私一人で東京に突入し、製作委員会の有志メンバーとじっくりと飲み語ることになった。
こうして2月のとある日の夜、東京で鴨川からは私一人、製作側からはプロデューサーなど4名のメンバーが集い、酒を酌み交わしながら、胸襟を開いたざっくばらんな意見交換を行った。

おかげで、これまで一本化されていた窓口では決して伝わって来なかった、製作側の状況、思いを理解することができた。
私からは鴨川の実際の状況もお伝えすることができた。

みな同じ問題意識をもっていたのだ。
さらに、製作側は基本的に鴨川に対しては全面協力である、という気持ちを何度も強調してくださった。

それを境に製作側と鴨川側の間に厚く立ちはだかっていた壁は見事に崩れ、本当の意味での強いチームワークが結ばれていった。

次回の製作・鴨川の全体会議では、会議後、全員参加の懇親会を行おうと約束して、その日は散会となった。

私はさっそく地元に帰り、後日、推進委員会の会議にて、製作側と飲み語った内容を報告した。
そして、鴨川推進委員会のメンバーにお願いもした。
我々が故郷・鴨川を愛するのと同じくらい、製作の方々は作品を愛し、作っている。そのことを理解し、クリエーターの方々の思いを大切にして、アニメの要素や素材を活用していきましょう、と。

全体会議が行われたのは、奇しくもクロ現が放送される前日。
夕方からスタートした会議を早々に切り上げ、懇親会に突入。
お互いの思いの丈をぶつけ合い、そして、理解し合った。
一次会ではもちろん終わらず、会は二次会、三次会へ。
私も含め、一部の猛者たちは夜中の3時をまわるまで語り合った。

そんなタイミングでクロ現は放送された。
もし全体会議・懇親会が一日でも遅かったなら……。
どうなっていたのだろうか。

今後、さまざまな地域を舞台にアニメが制作されることだろう。
そこでは必ず、製作側と地域側の関わりが出てくる。
重要なのはどちらが上、どちらが下ではなく、対等であり、互いの立場を尊重し、組織の枠組みを超えた信頼関係、協力体制が築けるかがプロジェクトの成否を分けると思う。


11.「ラグりんまつり」に込めた思い

シーズン2の放送完了後、2012年10月13日(土)・14日(日)に行われた「ラグりんまつり2012 in 鴨川」
鴨川にとって経験したことのないイベントの地元側総合プロデューサーを私は務めることになった。

当初から、プロジェクトのロードマップにおいては、10月に鴨川でイベントを開催することになっていた。
鴨川側としては、毎年10月下旬から11月上旬にかけて行われていた、大山千枚田を会場とした「棚田の夜祭り」との連携を考えていた。「棚田の夜祭り」は作中にも登場した。ところが、「棚田の夜祭り」は中止となってしまった。

2011年12月の先行上映会を企画・運営するのもたいへんだったのに、もっと大規模なイベントをやるとなれば、鴨川側にはそんなノウハウもないし、完遂できる自信もない。
やるのであれば、製作委員会で全て仕切ってもらう、いわゆる持ち込み型のイベントを開催してほしい、と提案した。
例えば、6月に東京・品川で開催された、声優キャストが参加し、中島愛さんのコンサートを盛り込んだ「鴨女文化祭」を鴨川で開催してもらうといったものだ。

だが、とある会議で、製作側のプロデューサーから出された提案は意外かつ真っ当なものだった。
東京でやれるようなイベントを鴨川でやっても意味がないのではないか。ご当地ならではのイベントをやってはどうか。
例えば、徳島で開催されている「マチアソビ」のようなイベントを鴨川で開催できないか。

そのことばに私も触発された。
持ち前の「イベント屋」の血が騒ぎ始めた。

そこで、私は自分なりにイベント企画してみた。
まずはとにかくできるかできないかわからない、大風呂敷を広げるだけ広げてみよう、と。
「マチアソビ」のように作品の舞台となった鴨川全体を使ったイベントができないか。
一生懸命企画を組み立ててみた。

6月だったか、全体会議でその草案を出してみた。
アニメイベントなど企画したことがない人間が作り上げた企画である。私はこてんぱんにダメ出しされるであろう、ということを覚悟していた。
だが、会議は予想だにしない展開となる。なんと製作側から基本的にこの案で行こうとの声が上がったのである。
まさかのGO。

さあ、たいへん!
ここから「ラグりんまつり」へ向けた激動の日々が始まることになる。
鴨川のメンバーからはこんなイベント本当にできるのか!?という不安の声が噴出した。無理もないだろう。

でも、やるっきゃない!
突き抜けるしかない。
半ば言い出しっぺの意地で準備を進めていった。

長くなるので(もう十分に長いが)、準備過程は省くが、「ラグりんまつり2012 in 鴨川」には強い思いを込めていた。

作品の舞台になった鴨川全体を楽しんでほしい。

「ラグりんまつり」の特徴は一会場に集中させるのではなく、鴨川全体を使い、回遊型のイベントを企画したことである。これは鴨川では初めてのタイプのイベントだったと思う。

おらが祭会場(文理開成高校・鴨川市市民会館・諏訪神社)をメイン会場として、メモリア会場(魚見塚展望台・一戦場公園)、ファロス会場(城西国際大学観光学部)、シーワールド会場(鴨川シーワールド)の4会場を結んで行われた。
まちあるきを楽しむ謎解きゲームも企画された。

これには作品の舞台となった鴨川全体を広く楽しんでほしいという願いが込められていた。

一過性で終わらせない。

メモリア会場で行った、総監督・声優キャストが参加してのタイムカプセルの埋設と記念植樹。
タイムカプセルは作品の舞台となった2032年に開封される。

ラグりんと鴨川の取り組みを決して一過性では終わらせたくないという思いから企画したものだった。
一時のブームにしたくなかったのだ。

少しでもファンの思いを作品に、鴨川に留めていただくために2032年へ思いを馳せてタイムカプセルを埋め、大樹になって大輪の花を咲かせてほしいと願いを込めて、記念植樹を行った。

時折雨の降るあいにくの天気であったが、メモリア会場の一戦場公園には数百人にも上るファンが詰めかけた。
異様な熱気の中、タイムカプセルは埋設され、ヒロインの3人娘になぞらえた3種類の木が植えられた。
タイムカプセルにはラグりんファン、市内の小学生、製作委員会、鴨川推進委員会のメンバー、声優キャストのみなさんが思い思いに記した2032年へのメッセージカードが封入されている。

2032年にはみんなどうなっているのだろうか。
いま現在の立場を超越し、ラグりんでつながったメンバーたちが鴨川に集い、タイムカプセルが開封されることだろう。
想像するだけでワクワクしてくる。

私の夢はタイムカプセルを開封し、思い出話に花を咲かせながら、一戦場公園で大宴会を開くことである。

声優キャストのみなさんにも「ラグりんまつり」の打ち上げで、ぜひ20年後に開封に来てほしい、とお話しをした。
ムギナミ役の茅野さんからは(その時いるであろう)家族を連れていっていいですか?スケジュールを抑えておいてくださいね、という粋な答えが!もちろん「かしこまり〜」(笑)

他の地域ともつながる。

1日目の午後に開催した「ご当地アニメフォーラム」

第1部では製作委員会、鴨川推進委員会のメンバーがラグりんと鴨川の取り組みについて語り、第2部ではご当地アニメの研究者と同様の取り組みを展開されている他地域の方を交えてご当地アニメの可能性について考察した。

フォーラムの目玉の一つは製作委員会で実際の現場で動いたスタッフの生の声をオープンな場で聞けたということである。
実はこれはなかなか稀少な機会である。
ご当地アニメ研究者にとっても貴重な企画であったようだ。

そして、もう一つが鴨川だけでなく、他地域の方々を呼んだことにある。
毎年無数のアニメが作られていく中で、一過性で終わらせないためには、一つの地域だけで踏ん張っていくのは限界があるだろう。それならば、同じような取り組みをしている地域同士が連携し、お互いの苦労や成功事例などを共有しながら、助けあっていけば息の長いプロジェクトになると思うのだ。
また、こうした連携が生まれれば、アニメコンテンツの発展にも寄与できると思う。

制作会社も配信局も異なる各々のアニメにおいて、製作委員会レベルで地域間の連携を生むのは難しいだろう。
すなわち、地域側でこそ、アニメ業界の利害関係を超え、純粋に連携を生み出せるのであり、鴨川はその役割をかってでようと思ったわけだ。

同フォーラムには関東地方を中心として、数々の地域にお声がけをさせていただいた。
だが、鴨川だけでなくネットでしばしばアニメ関係が炎上ということが起こっていたこともあり、さらにクロ現がかなりの影響を及ぼしていて、タイミング的に多くの地域が臆病になってしまっていた。「あざとい鴨川」と同じ壇上に立ったら、自分たちも巻き込まれてしまうという気持ちも正直あったことだろう。
フォーラムへの誘致は困難を極めた。

そんな中、元々鴨川と御縁のあった秩父市、さらには千葉市が参加してくださることになり、フォーラムは無事実現にこぎつけたのである。

前日入りした秩父市の方とは酒を酌み交わしながらさまざまなことを語り合ったのだが、数々の報道、ネットでの評判を見て、鴨川に対して先入観を持たれていたそうだ。
懇親会を通じて、現場の実際の状況を知ることができ、本当に良かったと語られていた。

千葉市の方は自身が聖地巡礼者らしく、実は鴨川にも個人的に何度か足を運ばれているとのこと。
「ラグりんまつり」2日目も鴨川に残り、楽しんで行かれた。

今後も引き続き、ご当地アニメフォーラムを各地で開催していけたら、とてもすてきなことではないかと思う。
なにより同志が増えるのが地域にとってもありがたい。

●ファンのみならず、声優・キャストも製作も地元も、みんなが一体になって楽しんでほしい。

「ZERO1」によるラグりんとプロレスのコラボレーションマッチ、シーワールド会場でのフィナーレイベントなど、多くのファンで盛り上がったのだが、実はファンのみならず、声優・キャスト、製作、地元、「ラグりんまつり」に関わる全ての人たちが一体となり楽しんでもらおうというコンセプトが一環して流れていた。

かつて、フレンテ(湖池屋)の「ピンキー」というタブレット菓子のウェブ展開をお手伝いさせていただいた時、会議の中で出たことば。
「お菓子は作っている人、売っている人が幸せでなければ、絶対に売れない」
このことばがいまでも私の心に深く息づいている。ファンだけでなく、製作も地元も出演者も、みんなが心底楽しんでいなければ、本当の意味で楽しいイベントはできないのだ。

そんなこともあり、製作委員会からは現場にアニメーターさん、脚本家さんたちも参加され、一人のお客さんとしてイベントを楽しんでいただいた。

プロレス好きな佐藤総監督には1日目の試合前にリングコールとともにリング上へ登壇していただき、ZERO1の大谷代表とオープニングトークをしていただいた。(MCは不肖・私が務めた)
その後は2日間を通じて全試合をリングサイドで観戦していた。

フィナーレイベントが終了した後、製作委員会、鴨川推進委員会全員で打ち上げを行ったのだが、もう興奮冷めやまぬといった雰囲気で、中には涙するメンバーもいたぐらい。
声優・キャストさん、製作委員会のみなさんも、本当に楽しかった、参加して良かったと心の底から喜んでいたのが印象的で、私自身うれしかった。

製作委員会、制作現場の方々も個人的にその後も鴨川を訪れてくださっているようだ。
立場を超えたチームワーク、仲間意識が確実に生み出された証だと思う。


この「ラグりんまつり」ではミラクルなことがたくさん起こっていた。

イベント終了直後の日記にも記したのだが、まず、これだけの規模のイベントにも関わらず、クレームが一つも寄せられなかった。
だからと言って、パーフェクトな運営ができたとは到底思えない。
不備もたくさんあったと思う。
それでも、ファンも地元も一切不満を出すことはなかった。
まさにファンも地元も一体となり、互いにイベントを盛り上げようという気持ちで臨んだからであると思う。

そんなこともあったかと思えば、当日鴨川市内の宿泊施設は軒並み満室となり、宿を予約しておらず野宿するはめになるところだったファンをとある喫茶店のマスターがご自宅に泊めてくださったり、ファンと地元住民の心温まるエピソードが数多くあったようだ。

メモリア会場となった一戦場公園に翌日伺ったところ、管理人の方から、昨日あれだけの人たちが集まったのにゴミ一つ落ちていなかったよ、と感心されたり、「あさひや」のご主人も「鴨川汁」の容器をみんなきれいに片付けていく、本当に礼儀の良い奴らだ、と嬉しそうに語っていた。
地元の方々がファンの礼儀正しさを実感できたのも大きな収穫であった。

イベント後、ネットはラグりん史上初めてではないか、と思えるくらいにファンのうれしい声であふれていた。
中には「神イベント」と最大級の賛辞を送ってくださるファンもいて、重圧の中、限られたリソースで準備・運営に当たってきた鴨川推進委員会のメンバーにとっては大きな達成感を味わえたのではないだろうか。


12.ご当地アニメの過渡期にあったラグりん

他の地域でもそうだと思うが、鴨川にはいまでも研究者目線から訪ねてこられる先生方、学生さんがいらっしゃる。
なんだかんだ言って、ご当地アニメというジャンルで一つの名を残した(良きにつけ、悪しきにつけ (^^;;;)ラグりんと鴨川の取り組みであるから、研究対象にもなりやすいのだろう。

いま振り返って考えてみると、ラグりんはもしかするとご当地アニメの過渡期に位置した作品かもしれない。

ラグりんよりも前は、作品のモデルとなった場所を明示せず、ファンたちがおそらくここだろう、と探して訪れるというスタイルであった。
盛り上がるのも放送中ではなく、放送が終了した後であった。
したがって、ご当地モノの関連グッズなどもむしろ放送後に段階的に売り出されていった。

ラグりんは前述した通り、舞台が鴨川であることを放送開始前から明示し、地元とタイアップしてのプロモーションを展開した。
したがって、ファンの出足も早かった。放送開始前から訪れるファンも多くいた。いくつかの聖地巡礼ブログも立ち上がっていた。
一方で、当の我々はあくまでもそれまでの事例を参考にしていたこともあり、本格的な受け入れは放送完了後になるだろうと踏んでいた。したがって、最初から積極姿勢に出ることはあまりなかった。グッズの開発・発売も段階的に行っていこうという考えだった。(もっともリソース自体が限られているので、爆発的展開は体力的にもできなかったのではあるが……)
だが、ファンの期待値は放送中にすでに高まっていた。そう考えると、果たして我々が鴨川を訪れるファンの人たちの期待に応え切れたかどうか、反省しなければならない点は多々あると思う。
ある意味の誤算であった。

先般、イベントなどでかなりの人数を集め、成功を収めていると評されている大洗の「ガルパン」は、鴨川と同様タイアップ型の展開を行い、まさに放送中に盛り上がった好事例となった。
タイアップに逆風が吹く中、製作委員会と地元の強力タッグによって突き抜けた大洗の取り組みは特筆すべきものがあるだろう。とってもすばらしいことだと思うし、同じバンダイビジュアルが関わっているだけに、鴨川における先駆事例が少しでもお役に立てたのなら、うれしいことでもある。

人柱になった、と言えばことばは悪いが、ラグりんと鴨川の取り組みは大きなうねりの中の分水嶺に位置したものであると言えるかもしれない。


13.ラグりんと鴨川のこれから

ラグりんと鴨川の取り組みは終了フラグが立っているように思われているかもしれないが、実はまだまだ生きている。

いまのところ、鴨川には一発巨大花火を上げるパワーはない。
それならば、ファンのために、作品のために、細々とでも息の長いプロジェクトとして継続していければと思っている。
19年後の2032年にはタイムカプセルの開封も待ち構えている。
少なくともそれまでは活動を続かなければならない。

一発のイベントで何万人という動員を狙うのではなく、10年、20年の取り組みの過程で何十万人、あるいは何百万人の人たちが鴨川を訪れ、楽しんでくれた、そういった方向性で進みたいと思っている。
決して派手ではないが、その方が無理なく長続きもすると思う。

作品・ストーリーの部分だけにこだわることなく、登場したキャラクターたちが地域に自然に溶け込み、愛されて行く、ある意味ストーリーとは別に自立し、本当の意味で鴨川の作品・キャラクターになっていけばすてきなことではないかとも思っている。
そのためにも、メディアやイベントなどに、今後もさりげなくラグりん要素を交えていきたいと考えている。

あとはコツコツと活動を続けるのみ。
継続は力なり。
例えば、製作スタッフ、ジャージ部、ファンの有志によるオフ会をちょこちょこ開催するだけでも良いと思う。
そんな小さな積み重ねがやがては大きなうねりにもなっていくかもしれない。

放送が完了してから、半年以上が経過する中で、各々の委員会の体制も大きく変わり、これからは地元とファンが主体となっていよいよ活動を展開するフェーズがやってきているとも言える。

一人でもラグりんと鴨川のファンがいてくれるなら、我々は歩みを止めることはしたくない。
数字的にドデカイ成果が出るわけではないが、一人のファンを大切にできないで、多くのファンを楽しませることはできないだろう。

そんな思いを胸にこれからも知恵を絞り、心をひとつに、力をあわせて、鴨川ならでは取り組みを展開していければと思う。

ご意見やアイディアなどがあれば、どんどん推進委員会にTwitterでも、Facebookでも、メールでも、あるいは直接お会いしてでも教えてくだされば我々の力になり、ありがたいと思います。
応援、よろしくお願いします。

以上、超超超ーーー長くなってしまいましたが(ごめんなさい)、ラグりんと鴨川のことについて語ってみました。
おやすみなさい☆


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いつも私の拙い日記にお付き合い、ありがとうございます。
おかげさまでこの日記(na.ni.nu)は [2001/10/10] パカッ! の記事以来、16年目を迎え、[2004/04/23] Wataruさんを囲む会 以降は毎日欠かさず記録してきました。(時々、かなりの連続投稿はありますが・笑)
その間、私の人生にもさまざまなことがありました。自分にとって、この日記は第一に自分自身が自分の歩みを忘れないようにするための記録であり、そのために各日記には一年前の同日の記事が表示されるようにもなっております。
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今後ともなにとぞよろしくお願いいたします。

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