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[2021/07/20] 小山田氏辞任に思う。 /

令和3/皇紀2681年6月11日 仏滅 | 2021/07/26 09:32 更新
開催の是非自体がいまだに問われている東京五輪だが、今日から先行してソフトボール競技が始まった。
初戦日本は強豪オーストラリア相手になんとコールド勝ち。幸先の良いスタートを切った。
女子ソフトボール日本代表と言えば、過去に鴨川でも何度も合宿を行っている、鴨川とも御縁のあるチーム。応援にもさらに力が入る。


さて、もういろいろなことが起こりまくって、なんだか競技だけでなくところがクローズアップばかりされている東京オリパラであるが、開会式の音楽演出を担当していた小山田氏が過去のいじめと、さらにそのいじめを武勇伝のごとく語る過去のメディア記事が問題となり、辞任に追い込まれた。
開会式数日前にして、またしても事件発生である……。
麻生さんではないが、まさに呪われた東京五輪なのか。

この辞任について、私もいろいろと思うところはある。


1.小山田氏の問題はいじめ行為そのものの悪質さに加え、その行為を反省するどころか、武勇伝のごとく語っていたことにある。

まず、彼が過去に行っていたいじめ行為であるが、もしメディアに語ったいじめ行為が事実だとすれば、言語道断。もはや犯罪行為、もっと言えば重罪に値する行為だと思うし、決して許されないものだろう。
私もその記事を読んだが、にわかには信じられない内容だった。

ただ、さらに問題なのは、その行為を反省するどころか、武勇伝のごとくメディアに語り、記事になっている点であろう。こんな記事ドン引きして読む気になれないし、語った本人も本人であるが、記事を企画した人間の気もしれない。


2.私自身、気づかされ、反省することが多々ある。

今回の出来事をきっかけに、(Twitter上の公開でのやりとりなので、この日記に記すが)私自身、同級生から私が過去にはたらいた行為について言及があった。
突然のことにびっくりもしたのだが、しかし、彼の勇気ある告白に私は感謝の気持ち、そして、自分が為した過去の愚行をしっかり受け止め、ひたすら反省するほかなかった。

いじめた方は自分の行為をあまり覚えていないが、いじめられた方は何年、何十年経っても鮮明に覚えている。また、いじめている方はそこまで深く考えて行為に及んでいないことも多い。
まさにその通りだと思う。
彼がいまだに私の愚行による心の傷を負って生きてきているということを、あの頃から30年以上も経過した中で知らされ、自分自身を猛省した。
そのことを胸に刻んで、心に置き、私はこれからの人生を歩んでいこうと決めた。

私はいじめた側も、いじめられた側も両方経験している。
前述のことばの通り、いじめられた時の記憶は私も今でも鮮明だ。
小学2年生までどちらかというとおとなしかったという私は一時同級生にやられたこともあった。校庭の真ん中で同級生たちに囲まれ、からかわれた記憶はいまでもはっきりと覚えている。
あるいは先輩にもやられた。自習時間、先輩たちが教室に入ってきた、殴られたことも多くあった。
その後、両親が学校と話し合ってくれたのだろうか、いじめはパタリとやんだ。
ただ、その後も、他の地域の小学校の生徒会役員クラスの児童たちと一緒に行われた宿泊での研修会でも、同室の2人にいじめられた。

逆に言えば、彼も私によって、それだけのつらい思いをさせられたということだ。

いじめた方はおそらくあまり記憶にないだろう。
だが、いじめられた方はいまでも過去のつらい思い出として心に傷を負っている。

おそらく、多くの人がその両面を経験し、抱えていると思う。
私は過去をじっくりと振り返ることができた。
その機会を与えてくれた友人に心から反省と、そして、本当にありがとうと言いたい。


3.いじめられっ子がいじめっ子になり、いじめっ子がいじめられっ子になる。

前述した内容とも重なるが、多くの人がいじめる方にもなり、いじめられる方にもなる。
両面をもって生きてきていると思う。

よく言われることだが、かつてのいじめられっ子がいじめっ子になり、かつてのいじめっ子がいじめられっ子になる。後者の場合は因果応報とでも言うのだろうか。

ここで大切なことは、何度も言うが、いじめっ子側の時はさほど思ってもおらず、記憶にもあまり残らないが、いじめられっ子側はつらい思いをし、深く傷つき、その記憶と傷は生涯残るということである。
このことを常に慮らなければならないと思う。

その意味でも、小山田氏の武勇伝ばりのいじめの告白記事は決して許されるものではないのだ。


4.一方で、袋たたきにされる社会・ネットの怖さ……。

その一方でもう一つ思うことは、いじめ行為や差別の言行自体は決して許されないものであるが、その過去をさらすばかりか、大勢の人たちが寄ってたかって袋たたきにするという社会とネットの怖さも感ずる。

本人がしっかりと過去を受け止め、反省したならば、許されるということがあっても良いと思うし、こうした過去はだれにでも大きかれ、小さかれ、一つはあるものだ。
それが原因で一生日の目を見ることができなくなるのは、なんとも怖い社会だとも思う。

事実を指摘し、冷静に批判するのなら良いが、特にネットにおいて不特定多数の人が、匿名で、感情のなすがままに、元いじめっ子だからと、犯罪者ばりに罵詈雑言、誹謗中傷をぶつけるのは私は違うと思う。
それこそ、まさにいじめ行為そのものではないだろうか。

私は小山田氏の一件で、そんな社会の怖さも同時に感じている。

今回の五輪でも思うが、日本の集団心理、大衆心理は本当に恐ろしい。
世論が一気に傾いていく。戦争や騒乱もおそらくこの勢いで始まってしまうのだろう。
これは日本だけでなく、世界でも同じことだとも思うが、世論や多数意見を俯瞰し、自分自身の意見をもつということが大切に思う。


四十にして不惑、というが、私はいまでも惑うことばかりの不完全な人間だ。
一生修行なのだと思う。
常に謙虚に、過去の自分をしっかりと振り返り、他者の価値観を受容し、しかし、自分の哲学もしっかりもち、今日からまた生きていきたい。


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いつも私の拙い日記にお付き合い、ありがとうございます。
おかげさまでこの日記(na.ni.nu)は [2001/10/10] パカッ! の記事以来、16年目を迎え、[2004/04/23] Wataruさんを囲む会 以降は毎日欠かさず記録してきました。(時々、かなりの連続投稿はありますが・笑)
その間、私の人生にもさまざまなことがありました。自分にとって、この日記は第一に自分自身が自分の歩みを忘れないようにするための記録であり、そのために各日記には一年前の同日の記事が表示されるようにもなっております。
いまさらながら、読者のみなさんにお願いがあります。この日記はあくまでも私の個人の活動記録であり、個人の見解が述べられています。したがって、私が所属する企業・団体・業界の公式的な記録や見解ではありませんので、この点ご理解の上、お付き合いください。
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