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[2014/08/09] 少子化は本当に悪なのか? /

平成26/皇紀2674年7月14日 友引 | 2020/04/21 17:47 更新
九州西方を北上していき、四国を中心に各地の豪雨による大きな被害をもたらした台風12号に続き、今度は台風11号が西日本を直撃するかたちで襲来している。
今月末には家族で四国旅行を計画しているのだが、その際乗車する土讃線は甚大な被害を受けたようで、大歩危〜土佐山田間は築堤崩壊、土砂流入、道床流失などによる不通。復旧にはかなりの時間を要しそうな状況である。
とにかくこれ以上、各地で被害が広がらないことを祈ろう。


さて、今日は少子化について考えてみたいと思う。

少子高齢化は年々深刻になり、我が国の直面する第一番目の重要課題となってきているが、私が投げかけたいのは果たして「少子化は本当に悪なのか?」という問いである。

少子化することで、人口が減少し、経済規模も縮小され、国力が弱まる、特に人口減少が激しい地域では地域自体が消失してしまう。そうでなくとも、過疎化により、これまでの経済活動・生活、さらには伝統文化というものが継承されづらくなる。
同時に高齢化が進むことで、人口構造が歪になり、社会福祉を維持するための若年層の負担が著しく重くなる。
少子高齢化により、さまざまな問題が二次的、三次的に巻き起こってくる。確かに悪いことづくめな気もする。

ただ、私は「少子高齢化をなんとかしなければならない!」というニュースなどを見聞きする度に、ある種の矛盾を感じてしまう。

40歳前後の我々の年代は小学校で人口問題についてどのように教育されたのか、覚えているだろうか。
少なくとも私の記憶が正しければ、当時の小学校では社会の授業で「日本は世界的に見ても人口密度が高い国。狭い国土の割に人口が多すぎる」と習ったはずだ。
端的に言えば、当時の学校では「日本の人口は減らさなくてはならない」と教えていたのだ。

そう教わってきた我々が大人になったら、今度は「日本は深刻な少子化に見舞われている。人口を増やさなければならない」と「産めや増やせや」と曰われる。

これが矛盾でなくて何になるのだろう?

この問題一つとっても、正直言って、いまの団塊世代を中心とする、戦後バブル的な右肩上がりの経済成長に身を委ねてきた中高年代の人たちの傲慢、身勝手さを感じてしまう。
「いまの若い者は!」とよく叱られるけれども、私ははっきり言って「いまの中高年は!」と言い返したくなる。

あくまで推論だが、当時「世界的に人口密度が高く、人口を減らさなくてはならない」と言っていた人たちは、単に自分たちの生活を窮屈なものにしたくない、もっとゆったり暮らしたいというエゴからそのようなことを学校で教え、今度は自分たちが社会、若年層から支えられる高齢者になったら、このままでは社会福祉・高齢者福祉が立ち行かなくなる、として「少子化をなんとかしなければならない。人口を増やさなければならない」と言い出したのではないだろうか。

極端な論旨の展開と思われるだろうが、私は基本的に団塊世代の人たちの多くは自己中心的で、経済・物質優先の思考を持つ人たちが多いように感じている。(もちろん全員ではないが)
少子化問題でも然り。原発問題も然りだ。
後に来る未来の世代の人たちなどどうでも良く、いかに自分たちが豊かに暮らすか、それが価値観の中央にあると思う。
それは、おもしろいように経済が発展していったある種の黄金時代に育ち、働いていたから、そういう錯覚が起きるのだろう。
後の年代にツケをまわしても、結局、経済や科学が発展するのだから、なんとかなるだろうという無責任極まりない楽観論である。

しかしながら、我々にしてみればトンデモナイ!!
国が抱える借金だって、原発問題にしたって、もう我々一世代だけで払いきれないツケをまわされてしまっているのだ。

神道には「中今」という思想がある。
日本は元々命をつなぐことを第一と考えてきた。
男女の営みは命をつなぐ神聖かつ大切なものであり、いかに子孫に幸せな社会を継承していくか、ということを考えて生きていたのだ。
神社の祭りにもそのような思想が流れている。
「中今」とはすなわち、今を生きる我々は先人と子孫の間を生きているのであり、先人たちが培ってきたすばらしい社会を子孫たちに無事バトンタッチいくことが重要な使命であるということだ。

そのように考えた時、果たして「中今」という思想をもって生きているのか、これらの問題を鑑みると甚だ疑問と思わざるを得ない。
このままでは日本は残らないのではないか。

だいぶ論旨が反れたが、本論に戻るとして、「少子化は本当に悪なのか」という命題。
確かに少子化はなんとかしなければならないが、国力とか経済とか、そういうものを考える以前に自然の中の人間という立ち位置を考えた時に適正人数はあるのではないか、と思われる。

とすると、実は日本全体のトータルな人口規模はむしろこれから数年は適正化に向かうのであり、考えるべきは都市人口をいかに地方に拡散させることではないだろうか。
つまり、戦後の高度経済成長で地方から大都市に一気に人口が流出していった逆の施策を行うのである。

地方の少子化は確かに深刻だ。
適正規模は愚か、我が地域も先人たちが継承してきた祭礼を継続していくのもままならない状況に入ってきており、危機感を抱いている人たちも多い。
たかが「祭礼」と言われるかもしれないが、実は祭礼を実施できるかどうか、というのはその地域の活性度を図る重要なバロメーターである。
祭礼が実施できなくなった地域は例外なく廃れる。勝手者が増え、地域コミュニティは崩壊してしまう。そんな状況では地域活性化も望めない。
したがって、人口施策を考える際、「祭礼」がこれまで通り実施できるという規模が一つの目安となる。

なんだかまとまらない展開となってしまっているが、私の考える少子化対策とは、単に日本全体で人口を増やすとかそういう単純なものではなく、各地域地域での適正な人口規模というものを考慮しながら、都市に集中し過ぎた人口を地方へ分散させ、社会が成り立つ仕組みを再構築することが重要なのではないか、と考える。

いずれにしても、前述したように日和見な上の世代の方々では根本的な解決策は生まれないであろう。
若い世代が主体となり、未来の世代のことを本当に思いながら、設計していく必要がある。


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